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「三谷幸喜のありふれた生活」の向こうを張って「きらくや社長の月並みな生活」を初めました。2008年1月からきらくに思いつきで始めました。どうぞご笑覧下さい。

第95 号 いまや日本は強い女性の社会。

▼佐久間惣一?十月二七日突然の死去。山形自動車道笹谷トンネル内での交通事故であった。数年前の脳梗塞で右半身不自由の影響あったのでは無いだろうか。翌朝伊藤哲雄の連絡であたふたと駆けつけ、私はまずは整理された住所リストに従い知人への死去連絡を手伝うはめになった。後で妻秀子から聞いて知った事だが、退職の
通知を出す住所リストが死亡連絡に成ってしまったのだ。

▼葬儀は彼の退職予定の十月三十日だった。葬祭場は約三百人が着座し、新沢昌英71 信稜会(福大経済同窓)会長、小中高の友人宗形敏雄、七五期Σ会阿部栄夫などが弔辞。私は彼と飲み友達であったKFB専務瀬川賢一にも弔辞を依頼、瀬川は二つ返事で引受けた。曰く『君と初めて会ったのはあるスナックであった。そして、最後に会ったのも同じ場所』と。

▼秀子は何度か宮城県警に呼び出された。そして惣一がお土産に山形から買ってきた富貴豆も一月後に貰って涙した。十一月末には息子の嫁が個展を開催、いくぶん悲しみを和らげた。彼女に一番必要なのは「時間薬」である。

▼佐久間崇之69 桑野会会長の小間使いである私は『入口で応援に来る桑野会会員に入場券を配布せよ』との命令で十二月二八日風邪をおして花園ラグビー場へ行った。幸いその任を関西桑野会の会員が引受けて下さり、私は応援団の一人となった。

▼試合の相手は二二回出場の古豪八幡工。前半0-7。後半のPGが決まれば・・。が0-14 と引き離されその後2トライ揚げたが既に遅し10-14 でノーサイド。

▼しかし私には密かなる不純な目的があった。かねて応援団OBの鈴木和幸92 からいよいよ応援団長も今年から女生徒だと聞いていたからである。前記の通り試合は観戦したよ。しかし、私の視線はしっかり応援団に釘付け。羽織袴の団長ばかりでなく、学生服の団員も女生徒(男子も居たが)である。彼らは寒空の中、声をからし、汗し、裸足で走り回り、テキパキと指示を出し350人の応援団を統率し、鼓舞する。小柄な団長は声も大きく、雄々しい。安積
の伝統そのものである。

▼まいったぁ。『おんちゃんも4万円の交通費掛けて君達を見に来た甲斐があったよ』涙を流しながら、校歌を歌った、紫の旗を歌った。鼻風邪のふりして何度も洟をかんだ。『弥重先生、荘平66さん!安積は共学に成っても立派な安積高応援団だよ』

▼私はわざわざ大阪くんだりまで来て01年の甲子園で最後の男子校を確認し、05 年の花園でやっと共学校を納得した。

▼四年かけ立派な共学校に育てた廣瀬渉校長等に心底感謝。

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