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「三谷幸喜のありふれた生活」の向こうを張って「きらくや社長の月並みな生活」を初めました。2008年1月からきらくに思いつきで始めました。どうぞご笑覧下さい。

第97 号 元気なうちに連絡先など葬儀の準備をせよ。

▼小林良行?三月十八日死去。「どなたに連絡しましょうか」との私の問い掛けに妻恵子は昨年十月の中学同期会の集合写真と高校の仲間内の写真を見せ、「これでお願いします」と言われ、どのように誰に連絡しようかと戸惑った。

▼さびしい葬儀で私は自分のネットワーク不足を恥じた。佐久間惣一の時は退職通知予定が葬儀通知となって盛大だったのとあまりにも落差があったから、なお更だった。

▼三月三一日、渡部航志郎?が盛岡から線香を上げにきた。その後の恵子夫人に会いたいとも思い私も小林宅に同行した。

▼小林は家族に厳しく、プライドが高く弱みを絶対に見せない。病気でも痩せ細った体を家族にすら見せたがらなかったと言う。今考えるとその我慢が病状の発見の遅れになったと思う。私と航志郎は同級生の間で見せる態度とのあまりの違いに驚き、彼が仲間内で見せる、はしゃぐ割り込む得意になる自己チュウな面を話した。恵子はごく普通の人間的な一面を知って安心した。逆に私たちは彼が家族だけにしか見せない厳格な家長ぶりを知り改めて驚いた。

▼小林は四年前郡山に戻り、最後の勤務先が郡山地域テクノポリス推進機構だった。その職場の上司に昨年十一月小林の体の不調を私は聞かされた。

▼年明け病院を訪問。末期の胃癌である事を知った。二月四日七五期同期会の日。渡部航志郎、熊田喜宣、国分洋が病室を訪問。彼は訪問を喜び起き上がって話が弾んだ。小林が見せるしぐさに妻恵子はすごく驚いたと言う。それは決して家族には見せた事がない表情だったから。

▼彼は辛そうな表情を見せず最後の最後まで、職場復帰を考えつつ、あの世に行った。私には万が一の時の連絡先をしっかり聞いておいて頂ければもっと盛大に送り出して上げる事が出来たのにとの思いが有ったが妻恵子にしてみれば決して甘えない夫の頑張りに最後まで「何も聞けない」状況だったのであった。

▼小林夫人に会って触発され佐久間惣一妻秀子に電話したら、その電話を待っていた様に会いに来た。「夢に出てくる惣一は何故か顔は見えません。私が悲しめば惣一も悲しむ、喜べば惣一も喜ぶ。そう考え、悲しむのを止めよう。私の心の中に生きているんだから。そう悟った時から不思議にも夢の中で惣ちゃんの顔がはっきり見えるように変ったのです」さらに「家の中では声を出して本を読んで聞かせています」「惣ちゃんと私は良い思い出ばかりです」と言った。私は死んだ亭主ののろけ話をしっかり受け止め「世の未亡人は皆元気な人ばかり」と返事した。

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