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「三谷幸喜のありふれた生活」の向こうを張って「きらくや社長の月並みな生活」を初めました。2008年1月からきらくに思いつきで始めました。どうぞご笑覧下さい。

第106 号 津口信男校長との4 年間。

▼利益増に困窮する昨今、銀行の支店長から『社長のセールスポイントは何ですか』『友達が多いことかなぁ』『ならばそこにセールス攻勢をかけて下さい』ということで今回は葉書でなく、広告の裏紙を使う。広告デザインは鴫原幸男の妻啓子である。そんな訳で乞う、ご利用

▼創立75 年の年私達は安高に入学した。時の校長は津口信男、教頭は冨田重延で、津口が生徒を放任、冨田が生徒にガミガミ言う役と分担をしていたので津口は生徒から圧倒的人気が有った。

▼私は高校時代、物理部部長と山岳部と演劇部手伝いをしていた。

▼高校入学時、山岳部は無かった。昔の山岳部のマセた生徒が山から下ってきて温泉で芸者を上げて遊び解散させられたと聞いた。高二になって星彰夫顧問に渡辺忠・故人を頭に山岳同好会を結成した。星の顧問就任には条件があった。人数が足りない、バスケット部の練習相手になる事。神山靖範はその二股部員である。

▼桑野山岳会、先輩達の佐藤雄寿63、大橋重夫64、鈴木荘平66、吉見喜男69 等に面倒を見て頂いた。その後の沢登り岩登りの技術は吉見の伝授である。

▼三年で初めて高体連参加。引率教師山川進一。リーダー田代忠、梅津伸一、佐々木寛侑、染谷安彦76、そして私。田代は全国大会に出場した。

▼クラブの部長には卒業時に功労賞が渡されるが物理部顧問渡辺久茂(デンナマ)は各部掛持ちの私に嫌気がさした副部長の根本宏一に功労賞を推したが、私も当然と思っていた。部員に渡辺善信、梅津(安田)収二郎が居た。無線機やホバークラフトを製作した。学校は楽しく、ほとんど勉強はしないで大学受験を迎えた。

▼そんな勉強をしないで遊びほうけた生徒の為に校長津口は補修科と称し、浪人組の四年生クラスを設けた。クラス担任は竹花栄明(ドライ)。教室は旧本館一番東の北側、当時物置だった。私はその教室の整備に片付けから手伝った。生徒は五十人。須賀川高、田村高女子も居た。運動の時間も有り星彰夫体育担任の元、火曜日の午後はテニスをした。

▼十八才を過ぎ治外法権、その教室は紫煙が立ち込めていた。ある日校長津口が浪人教室にやって来た。『キミタチィ、煙草を吸うなと言わないが、在校生の手前、校長室にバケツを置くからそこで吸ってくれないか』喫煙癖のついた者は馬鹿正直に、校長室に行って入口の衝立の陰でタバコを吸った

▼津口は生徒ひとり一人面接をし、年賀状も出した。

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きらくや

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