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「三谷幸喜のありふれた生活」の向こうを張って「きらくや社長の月並みな生活」を初めました。2008年1月からきらくに思いつきで始めました。どうぞご笑覧下さい。

街こおりやま平成22年新年号

年賀状。わたしの場合は年末状。

『ブログにリンクする2009年・年末状』はこちら
●この文章が目に入る時は新年であると思う。したがって『この誌面から旧年中はお世話になりました。本年もよろしくご愛読お願いします』とご挨拶。

●古くからの日本には日頃お世話になっている人を新年に訪問して挨拶する「年始回り」と言う行事があった。だけど遠方にいると挨拶に行けないから手紙で挨拶を済ませる。それが年賀状の始まりとの事。さらに喪に服しているからと「賀状欠礼」を出すようになった。 その賀状
欠礼の葉書が着き始め、ああ年賀状の準備をしなければならない時期になってきた事を実感する。

●わたしは高校生の頃から毎年世話になった人には賀状を出す事を心掛けて来た。内容は山岳写真、版画、プリントゴッコと首尾一貫していなかった。しかし毎年発信するその作業でその人脈は小学校時代の先生から始まって、数百人蓄積されお金に替えがたい、私の財産になってい
る。このネットワークは増え続け死ぬ(もしくはボケる)まで止めるわけには行かない。

●私の年賀状の定義は常日頃ご無沙汰している人への「近況報告」と「住所の整理」と考えている。16年ほど前から豆新聞形式となり、約千文字で一年間にわたしの身の回りにあった事を報告する形式となった。

●豆新聞に当初は「新年おめでとうございます」と書いていたが、三号から「本年一年、大変お世話になりました」にタイトルを替えた。そして勝手に年末状と呼ぶ事にした。最近では「賀状欠礼の方にも届きます。無礼、ご容赦下さい」となった。新年を寿(ことほ)ぐ、賀状じゃ
無いんだからと自分勝手な理屈を付け賀状欠礼の人にも勝手ながら出している。

●年末状にした事には先読みがあり、自分の身内に何か不幸が有っても「賀状欠礼」など出さないで、淡々と年末状で報告しよう。そうすればお世話になった人に出している年一回の作業は同じく途切れる事無く続けられると言う事だ。しかし、17号を迎える年末状までに愛猫ペキと
ミュウの死亡が載ったものの幸い身内の不幸はいまだ載らない。

●通常振り返る事が無い豆新聞の過去号を改めて通読した。物忘れが激しくなった私の(あれはいつだっけの)自分史を確認できる利点がある事に気付いた。

●こんな私の年末状には良くここまで私事をさらけ出し書けるねとたまに批判めいた事も言われる事もある。年末状としてに出す事に異論は少ない。年一回通信を待っている人も結構いる。死亡で発送を止めた知人の奥様から「父ちゃん死んだ後は私に(年末状)下さい」と言われた
。会合である町の町長さんを見かけた。わざわざそばにやって来て「毎年、楽しみにしているから続けてよ」と言いに来たっけ。そう
言う人には賀状来なくても死ぬまで出しちゃう。

●ところで昨年の年末状が見当たらなく、整理の良い義父に尋ねたら「なぜか昨年号だけ無い」と言う。小学時代からの友人にも、妹にも探してくれと頼んだ。同様に「昨年号は無い」と言い、挙句の果てに「去年は出さなかったのでは」とまで言われ、自分もその気になった。娘がやっと見つけ出した。そこには「本年は旅館の売上増進を兼ね広告の裏紙に印刷します」と書いてあった。整理する側も葉書で無いとおさまりがつかないのである。

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