私の友人からのメールを許可を得てアップロード
==以下、文言そのまま==
猪苗代の避難所に物資を届けに行き、避難されている方(浪江町)と話をしていたら、20キロ圏内の封鎖の件で深刻な訴えを耳にしました。「3月11日から一度も家に帰っていない」「通帳も、印鑑も、保険証も、そしてお金も置いたまま・・・・本当に着の身着のまま、何も持たずに逃げて来たんだ」「自宅まで荷物を取りに行きたいけど、車がなくて困っている」「車を持ってて、ご自分で行かれた方も必死で、とても乗せてと頼める雰囲気ではなかった」「もう、自分の家や生まれ故郷が一生見れないかもしれない・・・・」
特に、高齢者の方から悲痛とも言える切実な声を聞いていて、正直、戸惑いがありましたが、思い切って車を出しますと申し出ました。(一度自分の目で見て見たかった思いもありました)そして、3名の方と一緒に浪江町内(原発まで10キロ)のご自宅まで行って来ました。
検問が2ヶ所(20キロ圏内に入るときは防護服を着た警官がいました)(検問の写真。防護服の警官の写真は撮れなかった)
浪江の地震による被害は須賀川や郡山よりも少ない印象でした。建物だけを見たら、普通の暮らしがあってもおかしくない様子でしたが、不気味な静けさが何とも言えない異様さを表していました。野犬化した犬たちがさまよっている姿が、異様さに拍車をかけていました。
(人がいない、車が全く通らない。ただただ静な町)
請戸地区(甚大な津波の被害地区)も見て来ました。言葉が出ません。地震津波の直後のままで、全く片付けがされていません。
岩手や宮城の被災地は、瓦礫はまだまだあるけど道路は片付けられて、復興の車両が行き交っています。
同じ瓦礫の街でも、希望のあるなしという視点では、真逆にある光景のように映ってきました。(けして映像や写真では感じられない独特の異臭が、より言葉を奪っていきます)
ご自宅(浪江町高齢者住宅しらうめ荘)から荷物を持って出てくるHさん
一人のおばあちゃんが「ありがとうない」と飴とお菓子を渡してくれました。
あまりの衝撃で言葉を失っていましたが、そのおばあちゃんのご自宅に帰れた喜びから思わずこぼれた笑顔が、
今日の動きに納得と喜びを与えてくました。
mi-mama
2011年4月24日
シャチョウ!
こういうお友達をお持ちなのは素敵です!
わざわざ新聞記者を呼びつけて避難所を慰問(自己満足!)する個人や団体の多い中、シャチョウのお友達のように、被災した方々のお心にそったお手伝いこそ、尊い行いと拝察いたします。
とは言え、私もある団体に身を置くことでしか、お手伝いできないもどかしさも感じています。週に3回ほどいわきに行ってお手伝いもどきなことをしています。このお友達の清い行いにわが身を恥じつつ。
シャチョウ!このお友達のお友達になりたいです。!!
遠藤正一
2011年4月27日
mi-mama様へ
コメント、ありがとうございます。
よろしければ、メールでのやり取りをしませんか?
メール:saeche@nifty.com
他にも、配信していたものがありますので、お送りいたします。
村田さんは、高校の大先輩で尊敬している方です。
友人とは、もったいお言葉です。
20キロ圏内の報告者遠藤 正一でした。
小林@市川島尻
2011年6月20日
いい話ですね。
私の所属するゴスペルチーム有志も今度7月24日に双葉町の人たちが避難している埼玉県・加須市の旧騎西高校に歌いに行ってきます。決して新聞記者を呼びつけたりはしませんので、ご安心ください。