昨年暮れに菩提寺(如宝寺)から塀が壊れると危ないから道路に面した墓地の整理の相談があった。如宝寺境内の中にある墓地のうち、金透小学校との境界道路に面する墓地とその裏通りの墓地、約90の檀家が移動して、垣根土手の整理と塀の構築のために墓石を移動した。
大々的工事であった。そして3月11日の震災があった。まるで震災を予見するかの工事で有った。もし工事をしなかったら塀が崩れ下校時刻の小学生がけがをしたかもしれなかったからである。
私のご先祖様が眠る村田家も抜魂して墓石を移動し、さらに古い墓石は整理処分した。処分の墓石は23個。書き写した戒名は50で、一番古い墓石は宝永二年(1705年)であった。
写真は更地に成った墓地であるが、新しい塀が廻されている。村田家の墓地の大きさは間口5m奥行き8.8mある。通常の最低のお墓は一坪だとすると何と13檀家ぶんの墓が出来る。お寺のご院家さんは何も言わなかったが、とりあえずはこちらから半分はお戻しする事にした。
半分にしても郡山市のど真ん中で通常の六軒分の墓地面積である。ありがたきご先祖様である。、
mi-mama
2011年10月17日
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我が家も古〜いお墓を夫が受け継いでいます。
江戸時代から昭和の30年ごろまでは個人のお墓だったのですね。個人のお墓が累々とあります。(うちだけ?)
私の実家は、父が農家の五男で、お墓を作るとしたら初代なので、詳しいことは分かりません。
社長と同年代と思しきわが夫は、死んだら人は魂になるのだから、お墓を供養するなんてナンセンスだ!といって、お墓参りもしないんですよ!!!どう、思いますか???
私は、我が家の息子たちが不登校になったのは、先祖を粗末にしているからだと思います。
私だけでも、夫の祖先を供養しようと思いますが、遠いのです。。。でも、がんばります。