街こおりやま 2011年12月号
●ことしも間もなく終わる。多くの人にとって平成23年とは人生の最大出来事として東日本大震災に遭遇した年として自分史に刻まれる。私には多くの友人からお見舞いが届き、自分が多くの人に世話になって生きて居る事を今さらながらに実感させられた。
●素早く、静岡の従弟からは駿河湾の魚の干物が届いた。東京の旅行作家からは震災後の福島の旅館情報の提供との引き換えにビール券の束が届いた。一番驚いたのは大学時代の友人から現金封筒に1か月分の給料がそっくり入って来た事である。
●すぐお礼の手紙を書いた後。私より困窮する知人の存在を思い起こした。浜通りに住む被災の知人数人に受取った現金封筒の中から送付した。その後もいろんなところからお見舞い金、農産物、海産物など。パラグアイからの大豆支援で作った豆腐も沢山頂いた。
●今年は大震災の治まった後も災害は続いた。7月末に新潟福島集中豪雨があった。9月下旬に郡山市で台風15号冠水被害があった。これらの知人にもお見舞いを送付した、多分これらの災害が個別に年を離れて来たら私は気に掛けなかっただろう。しかし、今年は始めに驚きの現金封筒が届き、次々とお見舞いの金品が届き、こんなに貰っては申し訳ない、どこかにお返しをしなければと言う思いが頭の隅で働いたのと思われる。
●義援金という支援も有るが、いつ届くか、誰に届くか、どのように使われるのか判らないのが義援金だ。しかし、自分の好意(行為)がストレートに反応としてあらわれる見舞金は受け取っても、送付しても先方の顔が見えて良かったと思う。
●さらに、原発事故の宿泊客減を気遣って多くの友人が宿泊して下さった。高校時代の仲間を皮切りに、小学校の同級会から大学のサークル仲間まで、本来は宴会型でないきらくやを使って頂いた。なかでも中学校時代の女子同級生が沢山来て下さった。彼女たち以上にお迎えした私が楽しませていただいた。
●友人の宿泊予約は今後もまだ続く。そんな心配りが大変ありがたい。泊まって頂き、話をして、お互い励ましあって、帰り際にお金まで頂く。旅館のオヤジってなんと素晴らしい仕事なのだろう。