5月31日。郡山商工会議所会頭丹治一郎氏が死去した。まだ77才の若さだった
夜7時の死去にもかかわらず、翌朝の福島民報は組み替えて一面に報道。
通常郡山地区あたりは重要人物の死去は密葬を済ませホテルなどでお別れ会などをする。しかし、この報道で密葬は出来なくなった。二日、私が訪問しようとした時、遺体は不在と聞き午後に面会に行った。遺体は特別の処置を済ませ白布を掛ける事無くまさに眠るようであった。大邸宅内に訪問客が引きも切らず、通常は数個チラホラの枕花も丹治家の場合百個近くも林立していた。
告別式は7日に行われ、13時の予定にも関わらず私が着席した12時半にはほぼ満席、人柄を忍ばせた。
私の知る限り最大の葬儀だった。西光寺住職の導師のもと小原寺住職、大滋寺住職が脇導師、総勢7人の僧侶の読経であった。弔辞は品川郡山市長、渡辺福島県商工会議所連合会長、今泉郡山商工会議所副会頭など7人が一時間以上続いたが数々のエピソード、本当におしい人に亡くなられたと思う。
10月まで会頭職務代理者を努める須佐喜夫副会頭の葬儀委員長の挨拶も緊張のあまりかなり引きつっていた。
私が最後に会話を交わしたのは4月10日過ぎ頃、「村田君、俺の孫があんたの大学の後輩になったぞ!」であった。ことほど左様にちゃんと他人の素性を心得ての人心掌握術が彼の人気の秘密であった。
皆に愛された丹治一郎さん安らかにお休みください。