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きらくやの出来るまで3

第3回、新業態の悪戦苦闘。

座ったきり動かない日帰り客

  96年10月一泊朝食旅館はオープンした。 一泊朝食旅館とは言うものの売上げの3割は日帰り客に依存する売上げ想定をしたスタートだった。 「伊豆長岡温泉華の湯」の例を参考にしたり、 更に郡山観光公社の運営する「郡山ユラックス熱海」の日帰り客の稼働から福島県の観光に来るお客様が、 ドライブの途中に立ち寄ってくれればとの思いだったのだ。
  ところが日帰り入浴の客は日帰り受付け時間(当初は10時)と共に広間の場所取りに先を争い。 自分の場所を確保した後、持込み物を広げて夜まで動かない。 したがってお客様は回転せず、昼食売上も伸びなかった。
  郡山市は温泉は出る土地柄で市内随所に単独型温泉休憩施設が点在する。 老人が一日ゆっくりする温泉入浴施設が沢山存在しそのようなレジャーの過ごし方も定着した土地柄であった。 たまに来る短時間立寄り客も駆逐されて行った。

役に立たなかった顧客名簿

  宿泊客へのきらくやの周知徹底は紅葉館時代に10年かかって集めてきた 1万人を超えるお客様住所の利用に有った。
  顧客名簿の威力は絶大だった。 「紅葉館」時代の名簿からDMを出すと新しい「きらくや」にお客様は来て下さった。 しかしそれらの客は決して「きらくや」の新業態を理解していなかった。 今まで同様の利用法を求める客が大半、または新しい一泊朝食を選んでも夕食は夕食膳による宴会を望んだ。 そして帰り際に決まって言う言葉は「俺たちが来る旅館でなくなった」であった。
  その顧客名簿のお客様は団体の幹事様の立場であり、社用、 会議などの利用で自分の財布を痛めない人達であった。 しかし「きらくや」のお客様は自分個人のお金を支払う方々である。 紅葉館時代の名簿は使い物にならないという事にしばらく気付かなかった。
  さらに「村田の始めた新旅館は苦戦している。」 心配する古くからの友人達はお客様を連れてきてくださる。 しかし客室係の居ないこの旅館に彼らが連れてくるお客様はありがたくても迷惑な 「あれ出せ、これ持ってこい」型の中年宴会客で戸惑った。
  私が一泊朝食旅館に転じた根本は「座して死を待つより、 むしろ打って出るべし」だった。 ところが戦場に打って出たは良いが矢折れ、刀尽きの状態だった。 一番辛かったあの時期を思い出そうに覚えているのは精神病院の院長に愚痴をこぼしに行った事くらい。 すっかり思い出せないのは人間辛い事はなるべく早く忘れようとの習性があるからだろう。

励みになった、お客様の感想ノート

  私が半分ノイローゼ気味の中、母と家内は大丈夫いつかはブレークするからと言いつづけた。
  お客様に滞在中の感想文を書いていただくため小さなノートを準備した。 そこには私たちが励まされるお客様の感想文がしたためられている。
  お客様の文章は「このような旅館運営はお客様本意で素晴らしい。 利益が出ないであろう、しかし絶対頑張って成功して欲しい」と言うのが大体のパターンであった。 「無駄を省いた旅館の価格破壊だ」と言うのも有った。 これらに私は勇気づけられしばらくは耐え忍んだ。

10年後の旅館

  97年5月福島県旅館組合連合会の総会後の勉強会で「10年後の旅館」 と題した講演が行なわれた。講師はリーコ佐藤陸雄先生。 レジュメに書いてあることは私が今悪戦苦闘している旅館そのものである。
  今後は団体型→個人型。金銭消費型→時間消費型。 遅着き早立ち型→早着き遅立ち型。会社経費型→自己消費型と変化するだろう。
  タイムコントローラーの役割りを持つ者が従業員の出勤時間を決め人件費を節約せよ。 (これなどは当旅館の支配人の仕事そのものである)
  今後は女性、老人、外国人が増えるだろう。まさにきらくやの客のパターンそのものだ。 詳しくは先生の解説に委ねるとして私は大いに勇気付けられた。
  そして手紙を書いた。「このような旅館が普通になるのがこれから10年後では遅すぎます。 私の旅館は無くなってしまいます。全国の旅館の皆様を新業態への転換を大いに啓発して下さい」と

打つ手がある楽しさ、業態の定着へ

  客が少なく売上げが伸びなくとも一泊二食旅館、紅葉館の最後の頃よりは辛くとも楽しかった。 あの頃は社長として未来の夢を語れなかった。 何をどうして良いか判らなかった。打つ手が無かった。
  しかし新形態に取り換え試行錯誤の段階でも有り、固まりきっていない営業形態、 辛いながらも打つ手はあった。いろいろが落ち着かないうちから次に 切替えようとする私に従業員からも不満が起こったほどだ。
  大浴場が日帰り客に占拠されても宿泊客に不満が無いようにと 4階に作った風呂は小旅館の男女の浴室を想定した。 直ぐ貸切風呂に切替えたが一度に5〜6人は入れる、そのせいか家族には大好評である。
  特色も無い広間にテーブルを並べた日帰り休憩室は何の芸も無い。仕切って3分の1を洋室化した。 お客様から不要の本を頂き集めた。時間つぶしのお客様の格好の図書館が出来上がった。
  宅急便を開発したヤマト運輸の小倉昌男の「経営学」にこう書いてある。

業態とは、文字通り、ある事業独自の形態の事を指す。 たとえば、同じ「小売業」という業態でも「スーパーマーケット」と 「コンビニエンスストア」のように異なる業態が存在する。 (中略)業態化とは事業者の知恵、創意工夫を問うものである。 事業の独自性を見抜き「業態化」を徹底する事がその成否を左右する。

私のしている一泊朝食旅館は同じ「宿泊業」でも「ホテル」とも「旅館」とも違う業態である。 知恵を絞って「業態化」を徹底せよ、と言って下さったように聞こえた。

銀行が返済条件の変更

私が強気な発言を繰返す割りには成績は伸びない。 利益が出つつ有るといっても売上も従業員数も以前の半分以下、 企業として小規模化しているのである。 融資元の2つの金融機関は二年目までは個別に、 三年目からは足並みを揃えて償還金額(返済条件)を一時ゆるくしてくれた。
  両金融機関ともやっと私の新業態への挑戦を認めてくれて、 金繰りを心配せず落ち着いて先の手を打てとの暖かい配慮であった。
展望 檜 家族風呂
展望 檜 家族風呂
展望 石 家族風呂
展望 石 家族風呂