そんな過激なタイトルでは無かったが。趣旨はまぁ同じである。
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安積歴史博物館への来館者が「私は最近、郡山市安積町に越して来たが、どうしてここは(安積町から離れているのに)安積歴史博物館と言うのか」と聞かれた。この人は安積と言う地名を安積永盛駅周辺のあたりだけが安積と思っていたようである。
9つの安積郡の町村、3つの田村郡の町村が郡山市に吸収合併された時安積郡の名前は消え、安積山から見下ろす、疎水が流れる平野一帯の米どころを指した安積と言った地名が変容消失してしまったのである。
当時郡山とは北に逢瀬川、東に阿武隈川、西に開成山開拓道路(現在の49号国道)までの狭い地域を言っており、合併では平野一帯を指す安積市となるべきであった。
私は今からでも郡山市を安積市と改名して「万葉の母の歌」とも呼ばれる安積の地名を残したいと考える。
詳しくは下記の本の買い求めを!!歴史春秋社刊 安積[あさか]
七海晧奘/岡田峰幸/河野十四生 著 菊4変型判・並製・144頁・オールカラー 定価:2100円(税込)
七海晧奘
2010年1月17日
この度は早速『安積』をご紹介戴き厚く御礼申し上げます。お陰様で当著は、郡山地域におけます各書店様でベストセラー上位を継続とのご報告を戴いております。「郡山には歴史がない」とこれまでよく耳にしてまいりましたが、これはとんでもない誤解で、郡山の原点が「安積」であることに気付いた瞬間から、郡山には他にはない素晴らしい地方都市としての誇り(矜持・プライド)に満たされる感動を覚えることでしょう。
第1に万葉集(歌の母)の地であること。第二、真の武人である坂上田村麻呂生誕の地であること。第三、義経最愛の恋人「静御前」終焉の地であること。異論はあってもよく検証していただいて、わが郷土に伝わる素晴らしい歴史を後世に
たのしく継承して行くべきではないでしょうか。そして、安積歴史博物館に集約される、「安積魂」を再興しょうではありませんか。みなさま方の厚いご支援とご理解を願いながら。