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「三谷幸喜のありふれた生活」の向こうを張って「きらくや社長の月並みな生活」を初めました。2008年1月からきらくに思いつきで始めました。どうぞご笑覧下さい。

このような投稿を新聞は取り上げない。2

新聞が取り上げてくれない投稿を発信出来るのがブログの良いところである。
郡山市の音楽の聴衆の批判をしている私の文章だが、新聞はこんな記事を流して一般市民から恨みを買いたくないのである。しかし私は言うべきは言う。

==良い音楽会は演奏者と聴衆の合作である。==

若い指揮者とオケマン(楽団員)の演奏から若さを頂きたく福島音楽堂にオーケストラ・フィルジッヒの音楽会に出かけた。

私のめあてはワグナーがリズムの権化と評したベートーベンの7番交響曲、リズムにのりつつも節度あるテンポ。彼らの演奏する喜びをこちらも体いっぱいで受け止めた。

終了後、大喝采。アンコールを2曲。しかし観客は誰も席を立たない。指揮者が許しを得て楽屋へ戻り、コンサートミストレスの合図に合わせ楽団員全員で深々と一礼する。そして聴衆はやっと席を立つのである。

そして、楽団員はお互いの演奏をたたえ合い抱き合う。楽団員の知りあいが居る聴衆は舞台に駆け寄る。

私は夢見心地のままロビーに出る。そこでスタッフがつぼみを付けた桃の枝を配布している。そうだ、フィルジッヒとは桃の事なのだ。

なんとも言えない高揚感が覚めるのを待ってやっと車のエンジンを掛けた。

悔しいが拍手の最中にそわそわ席を立つ郡山の聴衆とは福島はレベルが違うのである。

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