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「三谷幸喜のありふれた生活」の向こうを張って「きらくや社長の月並みな生活」を初めました。2008年1月からきらくに思いつきで始めました。どうぞご笑覧下さい。

楽浪会 大内宿、鶴ヶ城他紀行後記

 参加 : 男性 : 浅見さん、今村さん、菊地さん、佐藤(治)さん 東條さん、沼田さん、村田さん 女性 : 尾股さん、平尾さん、小島

6月1日(日)
 天候にも恵まれ東京組、浅見さん、今村さん、菊地さん、東條さん、沼田さん、平尾さん と小島が一路郡山へ。そちらで尾股さん、佐藤(治)さんと合流「きらくや」に向かいました。
  今回は、出発が遅かったので食事迄の時間が早く、10名席につくや美味しい食事を戴き乍拡大楽浪会の話や、それぞれの近況等を話しました。只、村田さんが透析になるかもしれないと言うお話を聞いたので心配していましたが、元気そうなのと、頑張りやだからきっと克服してくれると信じています。沼田さんも、その他の皆様もお元気そうで安心しました。
  私も子供達の希望で沖縄に土地を買いましたので(現在農地)3年後にやっと道を通せる様になり、家を建てるまでに5年位掛かってしまうかもしれませんが、皆で是非遊びに来て下さい。後、私が感じたのは、女性はもちろん、男性も前より元気になっているように思いました。皆んな、健康に気を付けてがんばりたいですね。

6月2日(月)
 朝の散歩 − 6時30分出発
 村田さんの安積疎水の説明郡山は「安積三万石」といわれ、用水不足に悩まされ、明治政府は失業して生活に困窮する士族授産、食料増産による富国強兵を国策として、全国から2000戸を移住させ、安積原野を開拓する計画を樹立。これが安積原野開拓事業です。安積疎水は農業用水として開削されましたが、いち早く多目的利用が図られ、発電用水、水道 用水、工業用水として、多くの恩恵と利益をもたらした。」
 そんな説明をうけながら、回りは緑の木々と、川のせせらぎ、水力発電の為の高い塔等東京では味わうことの出来ない森林浴と水の与えてくれる力で穏やかな気持ちで三々五々ゆっくり歩きました。
 帰って、朝食。色々なおかずが取り揃えられ、美味しいコ−ヒ−もいただいて元気一杯出発。 
 
  次の大内宿へ着く迄の猪苗代湖、回りの木々、川の流れ、山々ほんとうに青春時代に戻れた ようなワクワク感と、純粋な心、希望、そん気持ちを忘れないでいたいとつくづく思いました。
  次の大内宿は、回りが高い山々に囲まれている為、独立した宿場町として発展し、本陣を始め旅籠ゆ問屋等が設けられ、参勤交代に使用され賑わいをみせていました。
3美女
  古い町並みが残っている事で、妻籠宿、奈良井宿に次いで重要伝統的建造物群保存地区に選定 されました。皆さん、のんびりとおみやげ店を見ながら江戸時代にタイムスリップした町並を 楽しみながら歩きました。
  次は、塔のへつり「へつり」とは、会津岩が隆起したもので方言で川に迫った険しい断崖の ことで国の天然記念物に指定されているそうです。ここで、皆さん思い思いのおみやげを手にしていました。

  ちょっと歩いたのでお腹もへり、村田さんお勧めの満田屋さんで8種類のみそ田楽をおいしくいただきました。 男性達はビ−ルで乾杯!!。

  次は最後の鶴ヶ城。最初ボランティアガイドの方に説明を受け、それから各自、自分のペ−スでゆっくり見学しました。
楽老会鶴ヶ城
  難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城1ケ月。 城は落ちなかった。石垣だけを残して取り壊されたのは、明治七年のことである。至徳元年(1384年)葦名直盛がはじめて館を築き改修を経て天下の名城と成った。

 私事ですが、息子の小学校の受け持ちの先生が会津出身の方で子供が大変お世話になり、漢方薬も飲んでいただいたので長いお付き合いてしたが、愛情いっぱいでしたが、どこか真があり、曲げられない所は曲げないという会津人らしい先生で、私は今も尊敬しています。
 
 鶴ヶ城を最後に郡山でお世話に成った村田さん、尾股さんに別れを告げ、東條さんは山寺に向かいました。(奥様が少しでも良く成りますように)
  
  本当に「きらくや」の大女将並びにスタッフの皆さんのあたたかいおもてなしに感謝するとともに、村田さん、幹事の浅見さんの御苦労に頭が下がります。ありがとうございました。

 東京組は雑談をしながら、車窓から見える真っ赤な太陽が我々楽浪会のメンバ−の絆を更に強くしてくれるような気がしました。

小島記                      
                                 

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