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「三谷幸喜のありふれた生活」の向こうを張って「きらくや社長の月並みな生活」を初めました。2008年1月からきらくに思いつきで始めました。どうぞご笑覧下さい。

2005 年1 月6 日 第89 号。退職後情報をお知らせ下さい。

▼友人の出演で郡山市制八〇周年記念第九演奏会に行った。なんとプログラム合唱参加名簿に西舘与志孝、渡邉佑司を発見した。

▼西舘は数年前から郡山男声合唱団ドンカラックの一員である。学校長を退職後郡山高等厚生学園の事務長。彼は高校時代ブラスバンドだった。

▼渡邉は婦唱夫随で妻美代子共々の参加。他に中学同窓女性が数名出演

▼到着賀状から気になったものを紹介。菊地昌美退職記念で自費出版。歴史春秋社刊「総ふりがななせなぜ日本史」「隠された日本史」を発刊。さっそく取り寄せた。

▼Wの賀状の添え書き、一目みて平常文字で無い事が判る「病気をして三年半になりました。日常の事は不自由がなくなりました。文字は左手で不自由です」

▼仙台で二年前倒れた佐久間惣一の字も左手で震えている「白髪を黒く染めて、元気と若さをみせてるつもり。赤く染める勇気・若さは無い」と。白髪染めを使えば赤でも黒でも同じが茶髪の私の持論である。原正夫郡山市長選出馬!藤森市長は三期十二年でこの四月勇退する事となった。そこにいち早く郡山選出県会議員佐藤憲保が出馬を表明した。多くの市民は自民党福島県連幹事長原正夫の動向に注目した。彼には二つに割れていた自民党福島県議団を一つにまとめた自負と責任があり、佐藤の様に即断は出来なかった。

▼初代郡山町長今泉久次郎の曾孫であり、若い頃市長にと嘱望された安積桑野会前会長今泉正顕 56 は語る。「原君はこのままじっとしていれば県会議長、そして参議院議員となれた。それが本人の望む道だったろう。しかし周りが彼を市長に望むなら受けて立つのが男なのである」と。そして自らの最新著書、《男としての「強さ」を身につける本》を贈った。

▼街こおりやま編集長伊藤和は叫ぶ。「悲願八十年郡山っ子を市長に!」これは三十年前に高田秀二42を擁立した時のキャッチコピーである。

▼原の強みは佐藤知事71、根本代議士82、藤森市長64 と繋がるパイプ。しかも藤森の明治大学商学部の後輩である▼原は俺が俺がと我を張らない。あくまで支持者に推されて腰を上げる。従来型の押しの強い政治屋と比較し謙虚、温厚、誠実な彼を消極的と見るのは彼の性格の根底を知らなすぎる。

▼一月四日原正夫連合後援会役員会を開催。出馬要請が相次いだ。原は「郡山に恩返しする最後のご奉公と考え意志を固めた」と決意表明

▼案の定、六日の朝刊では接着剤・原幹事長を失った自民党県議団は再び割れるだろうと予測する。

▼郡山市長選は四月三日告示、十日選挙の選挙戦に突入

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