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「三谷幸喜のありふれた生活」の向こうを張って「きらくや社長の月並みな生活」を初めました。2008年1月からきらくに思いつきで始めました。どうぞご笑覧下さい。

街こおりやま平成21年6月号

みんなの安積歴史博物館へ1

●佐久間崇之元安積桑野会(安積高同窓会)会長の小間使い(先輩に絶対服従)をしているうちに私は2年前から安積歴史博物館の世話焼きもするようになった。

●ざっと安積歴史博物館の歴史をたどってみる。安積高校は1884年9月11日に福島師範学校内に福島中学校として開設される。その5年後の1889年4月に旧制福島尋常中学校の校舎として現在の場所にて移転落成、授業を開始した。当時一帯を桑野村と言い、寒村の中にあってあの威容、『桑野御殿』と言われ、この建物は現在満120歳になるのである。

●1960年代、折からの高度成長時代、多くの学校校舎は木造から鉄筋の建物へ建て替えが行われた。そんな中あの建物はなぜ残ったのか、その歴史の原点を私は日直をしながら見つけ出した。

●この明治洋風建築の価値を見出した人は草野和夫(当時、郡山工業高校建築科教諭=現在仙台市在住、東北工業大学名誉教授)であった。当時郡山工業高校演劇部の顧問、津口信男安積高校校長が県南地区会長であった。1960年暮れ、雑談で草野は津口より「ここ3年くらいで安積高校は改築予定がある」との話を耳にする。そこで草野は安積高本館の洋風建築としての価値と保存の重要性を息せき切ってまくしたてた。これが安積歴史博物館保存の「いとぐち」である。

●かたや定年まぢかの学校長、一方的に熱弁を振るう青年教諭草野に津口は不愉快そうに発言をさえぎった。考えることしばし、「そんなに残す必要があるなら、県に伝えるから、あんたが今話ししたような理由を虎の巻に書いてよこしておいてくれよ。この建物の図面も付けなくてはならないだろうから、あなたのところの生徒で作らせてくれ。ただし昼飯くらいは出すが、生徒にも誰にも謝礼は出せないよ」

●翌61年2月草野は郡山工業高校建築科の生徒20名の実習を兼ね、「図面付虎の巻」を津口に託す。津口は3月に県教育委員会に重要文化財の指定を申請した。その後津口はちょっとした不祥事で校長の座を追われてしまう。69年安積桑野会(会長星一郎)は本館の永久保存を決議し翌年学校長佐々木真は再度県重要文化財指定申請書を提出した。

●その後73年新校舎落成とともに移転。そして本館は県重要文化財となり、旧制安積中、安積高校の校舎として20202名(名簿から積算)の卒業生を輩出して84年間の校舎としての役割を終えた。

●旧福島県尋常中学校本館と称されたこの建物は77年6月国重要文化財指定となる。78年7月旧本館は解体修理に着工。80年 9月に完了し復元された。84年安積高校は創立百周年を迎え、記念してそれまでの旧本館保存会は財団法人安積歴史博物館と組織替えした。

●津口はとっくに故人になってしまったが、私が高校生時代の大好き校長だったからその当時の様子を聞きたくて昨年私は草野に手紙を書いた。熱海で教え子の同窓会によばれたと言って草野はわざわざ会いに来て下さった。文中敬称略(参考。傍線草野和夫著、民家・町並み・洋風建築、その調査研究と保存ー半世紀の覚え書から転載。安中安高百年史)

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